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June 18, 2008

エミリー・ウングワレー展

国立新美術館へ行ってきた。エミリー・ウングワレー展を見るためである。

ここに行くのは初めてである。地下鉄の乃木坂駅6番出口を出ると、そのまま美術館につながっていて、わかりやすかった。
ここは、東大生研があった場所のはずである。近くには東京ミッドタウンなるものができているし、再開発がさかんである。何やら懐かしくもきな臭いような気がする。

Kngwarreye

さて、エミリー・ウングワレー Emily Kame Kngwarreye とは、オーストラリア人…というよりもアボリジニの女性画家である。オーストラリアの中央部、赤い土の砂漠地帯を故郷として生涯をそこで暮らした。宗教儀式のためのボディペインティングを仕事としていたが、オーストラリア政府が行う先住民族のための施策によってろうけつ染めを覚えた。そして、アクリル絵の具でキャンバスに絵を描き始めたのが80歳すこし前だということなのだが、その絵が世界から絶賛され、亡くなるまでに3000枚以上の作品を残したのだという。

彼女の作品は、私たちの常識で見れば、抽象画である。しかし、彼女にとっては、それは故郷の地、そこに生えるヤムイモなどのつる、若葉、花などといった具象への賛美なのである。
作品は、キャンバスをイーゼルに立てかけて描かれたものではない。大地に平らに置かれ、彼女自身がその上に座りながら、自在な向きで描かれている。だから、上下の向きがなく、どのように置いて鑑賞しても構わないのだという。
上の写真の作品は、初期のものである。写真ではわかりにくいが、このころの作品は、おびただしい数の、小さな丸いさまざまな色の点によって描かれている。これは、印象派の点描法とは違う。画面を明るくするために光を追求しているのではない。あくまで、彼女自身の、表現方法なのである。

作品は、ほとんど1年ごとに、大きくその画風を変えている。面の色を追求したり、線の表現を極めてみたり。
そして、死の2週間前に描かれたという作品群は、さらにまた、大きな変化を示している。うーん。

私は、抽象画を鑑賞するのは得意ではない。解釈は見る側に任せるという態度の作品に対しては、どう向き合ったらよいのかわからない。それだけの自信がない。
でも、このウングワレーの作品は、抽象画なのだけれども、彼女自身が80年の歳月の中で「深く会得」してきた、天地の真理といおうか、そのようなものが現れていて、それは私にも受け止めることが許されるように思われた。

昼食は、吹き抜けのカフェテリアで、これ。幸せ。

0618lunch

帰りは六本木駅へ向かってみる。あ、ここへ出るんだ。

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Comments

いつもながら精力的な鑑賞ですね。
昼食のビール美味しそうです。こちらもいいですね。

途中の記述「てんちのしんり」のところ、パッと見て、「あまちのまり」と読んでしまった私、幼い頃見たアイドルの顔が頭をよぎりました。

絵と関係ないコメントで申し訳ありません(^^;

Posted by: 田中 洋 | June 20, 2008 at 22:34

いえね、平日の代休ですから、休日には混んでいそうな、何か文化的な催しにゆっくり行きたいわけです。Webで映画館や美術館をいろいろ調べ、これにしました。
「あまちのまり」ですが、これは、そのつもりで仕込んでいる仕掛けです。ぱっと見て一瞬誤認識してくれれば、私としては、してやったり、といったところですか。

Posted by: aromatic Kam | June 21, 2008 at 23:51

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