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February 28, 2006

修学旅行のまとめの発表

2年の文書デザイン。1年間の最後の課題として、(1年・3年と同じく)プレゼンテーションを行っている。
その題材は、沖縄と与論島の修学旅行である。同行したGさんが撮影してきた600枚近い写真を材料として、そこから写真をピックアップして使いながら、3泊4日の修学旅行を自分なりの視点で切り取って示しなさい、と指示している。
そして今日、火曜日の方のクラスで、発表を終えた。

その出来は、なかなかよかった。
もちろん、初めてプレゼンテーション形式の発表をしたわけだから、未熟な点は、それぞれある。それでも、全員が同じ題材での発表をしているにもかかわらず、飽きずに聞くことができたということは、それぞれがみな、自分で考えたストーリーを提示して5分間の時間を使うことができていたからだと思う。

この授業のTT相棒のKさん、それに、時間割に入っていないのにいつもいてくれるGさんに、最後に講評をお願いした。やはり、ほめ言葉が先に立った。

いま、発表の様子をビデオテープから吸い上げてmpegにしている。これは、勤務校の小さな財産として、どこかで使う機会があるかもしれないと思っている。

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February 27, 2006

チェーンメール

中高生の間に、チェーンメールが広く流れているそうだ。教育委員会から注意喚起の文書が来た。
メールの文面の一部がいくつか載せられていたが、生徒たちの不安を煽るような、よくできているものだった。

1年の情報Aでは、ちょうど最後の課題としてメールについてやっているところである。Gさんが授業を進行し、私が教員機についていていろいろ操作をするという役割分担ができている。
そこで、頃合いを見て、偽チェーンメールを生徒たち全員にBCCで送信してみた。クラスによって、「おめでとうございます!当選しました!」とか「どこまで伝わるか、TV番組の競争です」といったように、内容を変えた。
多くの生徒は、おもしろがったり、そのまま無視したりしていた。中には、不安がって、Gさんにたずねている者もいた。
そして、少数だが、その怪しいメールに返信してしまったり、本文中のURLをクリックしてしまった者もいた。

授業の効果はあがっているのだが、なかなか、万全とはいかない。

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February 24, 2006

前倒しでPC導入

情報処理教室2に入っている20台のPCであるが、来年度に更新の予算が付くという話であった。
ところが、これについて、年度内に前倒しで入れても良いかという打診があった。それは年度途中に更新されるよりも好都合であるから、喜んで受けた。

ところで、来年度にそういう予算が付くという話が来た段階で、業者さんにあたって、見積もりを取ってあった。見積書には、PC本体について、メーカー品が定価の半額程度の価格で記載されていて、よくこんな値段で入れることができるな、と思っていた。
それで、年度内にという話がきたので、事務方から業者さんに連絡した。
そうしたら、業者さんは、大変困ったようすだというのである。というのは、あの見積もりは、6月7月になってからの発注であろうという前提で、提示した機種の実勢価格が下がっているのを見込んでのものであり、3月の発注では金額が合わないというのである。
できれば教員用をもう1台、合わせて21台になんとかなりませんか、という話をしようと思ったのだが、とてもそういう状況ではない。

結局、導入する機種については見積もりどおりの物を入れるけれども、セッティング作業は一切なしで、段ボール梱包の物を納入するところまで、という話になった。

Gさんは、頭を抱えんばかりである。
箱を開けて机に置いたり、ケーブルをつなぐくらいだったら、教員や生徒に頼んでどうにでもなる。しかし、各マシンの設定をサーバにつくったり、登録したり、といった作業は、誰にでもできるわけではない。Gさんと私がやらなくてはならなくなる。難しくてよくわからないこともいろいろあるし。
それに、今回の更新に関係して、「情報処理教室3」もできることになっている。いや、できるというよりは、私たちが作るのである。そちらの設定作業もある。消耗品もいるから、そのための予算を何とかかき集めてこなくてはならない。
加えて、納入の日取りが春休みに入ってすぐのあたりになりそうである。そこは、時間割作成の最盛期で、私はそちらにかかりっきりになる可能性がある。

これは、大変だ。

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February 23, 2006

磁気式IOカード 改札機での取り扱い終了(続)

21日の記事の続きとなる。

この日(21日)、情報部会関係で葬儀があり、私もおじゃまして焼香してきた。

そこで、情報ネットワーク委員会のメンバーが数名、顔を合わせたので、せっかくだから打ち合わせがてら軽く食事をという話になり、駅前の中華料理屋に入った。翌日は入試であったから、飲み物は控えめにした。
打ち合わせは、有意義だった。自宅に用意されているであろう夕食のことが気になったのだけれど、話し合いをしてよかったと思った。

帰りは、Iさんと一緒になった。横浜駅で、私は東急線へ、IさんはJRへ乗り継ぐ。IさんはJRへの通し切符を買えば良かったのに、横浜までの切符しか買わなかった。どうするのだろうと思っていると、横浜からは、これがあるのだと言うのである。磁気式イオカードであった。

(私) 先生、そのカード、たしか最近、改札機を通れなくなっていますよ?
(Iさん) そう?だって、ついこの間、出張のときに通れたよ。
ついこの間って、いつですか。
いや、ほんと、ついこの間。先月かな。
それがね、たしか先週くらいから、その磁気式のカードは、改札機を通れなくなったと思うんですよ。掲示が出てましたよ。
え、それじゃ、もうこのカードは使えないの?
いや、使えないんじゃなくて、改札機をそのまま入ったり出たりできなくなったんですよ。お金が無効になったんじゃなくて。だから、それを自動券売機に入れて、切符を買うようになるんですよ。オレンジカードと同じ使い方ですね。
(まったく納得いかない様子で)でも、この間の出張のとき、使えたよ。
それ、先月ですよね?
まあ、やってみよう。何事も実験だ!
えー、そうですかぁ?じゃ、私、ここで見てますから。

ピンポーン!

(改札機の向こうで)通れたよ!
通れてませんよぉ!それは突破したって言うんですよ!駅員さんに言った方が良いですよ、降りる駅で出られませんよ?
そう?

駅員さんに改札機を操作してもらい、出てくるIさん。

だめだったでしょ、あ、ここにポスターがありますね。2月10日までだって。だから、もう通れないんですよ。
そう?じゃ、これで切符買えばいいんだね?
そうです。じゃ、これで。おやすみなさい。

しかし、これも愛嬌のうちになってしまうところが、Iさんの人徳である。私も、別段迷惑とも感じない。授業のネタができたなと思うくらいである。

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February 21, 2006

磁気式IOカード 改札機での取り扱い終了

鉄道の切符は、昔はすべて係員による手売りであった。
それが、1960年代から、機械による自動販売がだんだんと一般的になってきた。

私が物心ついた1965年前後、東京の営団地下鉄や国鉄の駅では、近距離の大人用切符に限って、単機能の自動券売機での販売が行われていた。国鉄では、料金区間は色分けされていて、10円区間が…思い出せない。20円区間が黄色、30円区間が水色、40円区間がオレンジ色だったと思う。その地色に金額が大きく書かれている券売機に硬貨を入れると切符が一枚出てきた。紙幣はもちろん、100円硬貨も使えない機械があったような気がする。
機能は低かったけれども、わかりやすかった。路線図で目的の駅を見つけ、○の中の運賃を見て、その部分の線の色と同じ色の券売機に硬貨を入れるだけだったから、年配者が使い方が分からなくて困ってしまうというようなこともあまりなかったのではないかと思う。

そのうちに、一台で何種類もの切符を販売できる機械が出てきた。大人と子どものボタンが色違いで2列になっていたり、乗り継ぎの私鉄の切符が買えるものがあったりと、ボタンの数が増えてきた。
そしてさらに、大人子どもの別、人数、乗り継ぎ駅などを先にボタンで指定することで、列になっているボタンに複数の機能を持たせるタイプが出てきた。どの券売機に並んでも目的の切符が買えるようになって便利なのだが、反面、使い方がむずかしくなってしまった。

そして、プリペイドカードの登場である。国鉄のオレンジカード。電電公社のテレホンカードよりも後だっただろうか。調べればわかることだが、今、記憶は定かではない。
オレンジカードは、自販機に入れて使うタイプのプリペイドカードであった。これには、回数券的な考え方で、料金先払いに対するプレミアムがついていた。10,000円のカードで10,700円分の切符が買えた。
JRになり、これと並行して、イオカードの取り扱いが始まった。こちらは自動改札機に直接投入して入場・出場ができるタイプのカードだったが、プレミアムはつかなくなった。

これに対し、東急が呼びかけて、事業者共通で使える磁気式のプリペイドカードが使われ始めた。パスネットである。JRにも声をかけたらしいのだが、JRではICカード式のものを実用化しようと研究しているのでこれには乗らなかったのだ、と言われた。
そのICカード式プリペイドカードが、SUICAである。当初、切符が買えたり改札機が通れたりするだけだったのだが、今ではグリーン券として使えたり、ラッチ内外の店舗で支払いに使えたりと、汎用電子マネー化してきている。

(どうして私は、こうやって前置きが長くなるのだろう。そう、ここまでは、書こうと思ったことの前置きなのである。もう日付が変わるし、明日は入試。打ち切って、風呂に入って寝ることにする。続きは明日。%タイトル%の話まで行かなかった…。)

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February 19, 2006

PC改造は続く

2月18日の記事より続く)
引き続き、ThinkPad改造関連の話。

アイ・オーのUSB外付けHDDに入っていたSAMSUNGの40GBドライブを、ThinkPadに移植することにした。
これに先立ち、ドライブの前処理をしておく必要がある。40GBの全容量がFAT32の1パーティションになっているのであるが、パーティションの切り直しをしておけば、OSのインストールが楽になる。
メインのデスクトップ機(いわゆる母艦)はWindows XP Professional である。USB接続の形態のまま、この母艦へつなぎ、コントロールパネル-管理ツール-コンピュータの管理-ディスクの管理と進む。ここから、USB外付けのドライブであっても自在にパーティション管理ができるから、先にできることをやっておいた。
ケースからドライブを取り出し、ThinkPadに装着する。まっさらの状態からOSを入れ直して、ちょっと使ってみた。起動がだいぶ速くなったようだ。(以前よりも)大容量であるから高密度であるし、また、5400回転であることも効いているのだろう。普通の用途で使う限り、体感としてまずまずの処理速度を得るには、十分なメモリ量と速いドライブが確保されればCPUのクロックが少々遅くてもなんとかなるということを実感した。

ここまでで、144ピン、PC100、128Mbitチップ、256MB 128MB(誤記訂正 2/26)というメモリモジュールと、東芝の20GBの2.5インチドライブが発生品となっている。
今度はこれを、妻のSimplemに移植する。Simplemは、やはり2.5インチドライブ搭載なので、今回の発生品を入れることができる。CPUはCeleron466MHzという低スペックなのであるが、妻は別段不満もなく使っているようである。ただし、メモリは標準64MBに64MBを増設してあり、HDDも、はじめの6GBから12GBに換装してある。
まずメモリの方から。増設してある64MBのモジュールを取り外し、ThinkPad発生品の128MBモジュールを取り付ける。バラックのまま起動してみると、192MB認識されている(ただし、i810なので、画面用にここから2MB取られる)。
次いで、HDDである。ThinkPadではLinuxで使っていたから、Windows98SEを導入するには支障が生じるだろう。そこで、これについても母艦にUSB接続し、Windowsからはその他のファイルシステムとして見えるext3パーティションを削除する。代わりに、FAT32のパーティションを作っておく。属性はアクティブ。
このドライブに、古いドライブの内容をコピーする。これも、今ではUSB接続のケースがあるから、楽である。
こうしてデータを移行したHDDをSimplemに接続し、起動させた。すると、Linux のローダーである grub が何か言ってくる。そうか、パーティションを作り直しても、MBRはそのままなのだ。USBのFDDからWin98SEを起動し、fdisk /mbr を実行する。これで再度HDDから起動させると、今度は、メディアを入れ替えろという指示が出る。システムがうまくコピーされていないらしい。またフロッピーからWin98SEを立ち上げて、sys c: と打つ。これでやっと、新HDDからWin98SEが起動した。

長々と書いてきたが、これだけの操作をするには実際にもずいぶん時間がかかった。金曜日の晩から日曜日いっぱいまで、食料品の買い物などのための外出時間をのぞいて、ずっとこれにかかりきりであった。
3月26日の記事へ続く)

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February 18, 2006

Yahoo! オークションでメモリ購入

2月14日の記事より続く)
相変わらず ThinkPad をいじっている。

メモリを増設したいと思う。でも、あちこちのサイトの記述を読んでいると、i1200シリーズ1161-72J にメモリを256MBまで認識させようとしても失敗する可能性が高いらしいことがわかる。1月28日の記事に写真を上げてあるが、たまたま私の持っていたこの Micron のメモリモジュールではうまくいったということであって、他のメモリモジュールでうまくいく保証はまったくない。

そうしたら、16日の晩に、Yahoo!オークションにまったく同じ品物が出た。これならばOKである。入札し、落札することができた。競合入札者はいなかった。
翌朝(17日)メールチェックすると、もう出品者から連絡のメールが来ていた。出勤途中に、コンビニの銀行ATMで代金を振り込むと、午後には発送通知のメール。そして、18日昼過ぎに、品物がヤマトメール便で届いた。
オークション終了からまる2日を経ずして品物が手にはいる。ものすごくはやい。品物も、正常に動作した。

私はYahho! オークションで品物を落札して入手したのは初めてである。
出品したことは、もう5年以上前になると思うが、3回あった。銀行口座や住所などをメールで連絡し合い、代金を振り込んでもらってから品物を発送するのだが、ちょっとした手間であった。
それが、今回はじめて買う側に回ったのだけれど、前回の取引よりもだいぶ手軽に感じた。この間に、決済システムなどが(Yahoo!に限らず世の中全体として)進んできているからだと思う。

ところで、この取引を終えてすぐ、あやしいメールが来た。差出人のメールアドレス不明で、オークションの落札者が出品者宛に出したメールのはずが、間違って私のところにとどいた、という状況のメールである。その品物は、いささか扇情的とも言えるものである。文面には個人名が書いてあり、宛先は私のメールアドレスになっている。
無視していると、繰り返し、同じ個人名でメールが来る。そのうち、本文中に、何やらここへアクセスしてくれとURLが書かれているメールも来た。

初めてオークションで落札し、取引をしたら、すぐさまこのようなメール。これは、ひょっとしたら、今回の取引に関わって、どこからか情報が流出したのかもしれない。
連絡を取るために、いつもの署名をつけたメールを出していたのだが、こういう事態を想定していれば、最低限の情報だけにしていたところである。失敗したか。

何にせよ、用心するに越したことはない。欲しいものが迅速に手に入り、喜んでいただけに、ちょっと冷や水を浴びせられた感じである。
2月19日の記事へ続く)

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February 15, 2006

発表の後処理

1年情報Aの、「ファンシーグッズを宣伝しよう」プレゼンテーション発表が、ひととおり終わった。
せっかくなので、デジタルビデオカメラで、発表の様子を撮影した。全員ではないが、それに近い人数の生徒の発表を、画像として記録した。
これを、どうするか。ビデオテープのままでは、何とも使い勝手が悪く、そのまま死蔵されてしまう。
例えば、学校説明会のときなどに、開始までの待ち時間に学校紹介ビデオを映写しているのだが、そういうものを更新するときの材料にはなるだろう。
そう思って、mpeg2のファイルでDVD-ROM形式にしたものと、DVD-Video形式にしたものの2種類のDVDを焼いた。mpeg2ファイル形式の方は、総務部に渡して、資料としてもらうことにする。

2年の修学旅行報告プレゼンも、今日、1クラスの方で半分だけ行った。5時間ほどかけて、PowerPointのスライドを作ったり、話すシナリオを考えてもらってきたのだが、まだまだ、可能性を残した発表となった。
ただ、1年の「ファンシーグッズ」とは違って、おふざけで注目を集めようという発表はなかったし、聞く側の態度もだいぶ良かった。やはり、完動を味わってきた修学旅行には、中身としての重みがあるのだろう。

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February 14, 2006

SAMSUNG の HDD

2月11日の記事より続く)
帰りに、横浜のヨドバシに一太郎2006を買いに行った。
そうしたら、タイムセールだということで、アイ・オーの外付けUSB HDDであるHDP-U40 が安く売られていた。例によって、こっそり高率のポイントがバックされることを計算に入れると、8,000と数十円である。2.5インチ40Gのベアドライブを買っても8,000円はするのだから、これはお買い得である。ドライブだけを取り出し、仕事用の670MC3か、この間買ってきたThinkPadに入れ替えてやろうと思って、一太郎とあわせて買ってきた。
HDP-U40
本体は、厚みのあるアルミダイキャスト梨地仕上げで、質感はなかなかよい。
さて、さっそくばらしてみる。どこのメーカーのドライブが出てくるだろうと思ったら、なんと、SAMSUNGであった。MP0402H という型番のものである。
ネット上の情報をあたってみる。5400回転のものであるらしい。速そうだが、それは特に必要なことでもない。
それで、kakaku.comの口コミ掲示板では、どうも評判がよくない。すぐこわれたとか、うまく認識しないという書き込みがいくつかある。
うーむ。これでは、メインの仕事用携帯機である670MC3には、怖くて入れられない。やはりThinkPad行きだろうか。そうすると、ThinkPadの東芝20Gが妻のSimplemへ行って、Simplemにいま入っている10Gくらいの富士通ドライブが帰ってくることになる。USB外付けドライブとしては、それでも十分だ。

さて、換装はともかく、環境移行作業をするのに手間がかかることが予想される。いつできるだろうか。
2月18日の記事へ続く)

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February 13, 2006

町田高校で総合実習を見学

今日は、都立町田高校へおじゃまして、情報Aの総合実習の発表を見せていただいた。(詳細は小原先生のページ、こちらへ。

今日の授業内容や、その年間計画上の位置づけなどを紹介するのは、私の役割ではないと思うので、遠慮しておくことにする。
ただ、生徒たちは、とてもよく取り組んでいた。そして、これだけやっている生徒たちに対して、小原先生は、甘やかすことをせずに、ことさらに厳しく接しているように見受けられた。そして、生徒たちも、先生の指導をしっかり受け止めて、よい発表をするように努力している様子であった。要するに、教員と生徒との間に、好ましい緊張感が流れているのである。それは、もちろん、互いの信頼に裏付けられたものであるように思われた。

授業の終わりに、小原先生は、私に挨拶の機会を与えてくださった。私は、一年間のまとめとしてこの総合実習に取り組んでいる町田高校の生徒たちに、この授業で得たものに自信を持ち、また自分たちの先生を誇りに思ってもらいたいと、強く願う気持ちになっていた。そこで、ちょっと違う表現をつかったけれど、彼らが自発的に内面からそのように思ってもらえるようにと考えて、短い挨拶をした。

今日、得たものは大きかったと思う。

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February 12, 2006

写真展「ベトナム そこは、戦場だった」

東京都写真美術館で開催されている、「発掘された不滅の記録 1954-1975 [VIET NAM ベトナム] そこは、戦場だった」という長いタイトルの写真展に行ってきた。
東京都写真美術館には、はじめて行った。恵比寿のサッポロビール工場跡地を再開発した地域の一角にあるのだが、恵比寿駅から意外に距離があったし、場所もわかりにくかった。

写真展であるのだけれど、いわゆるベトナム戦争の歴史をざっと復習することもできるような展示になっている。
ベトナム戦争の末期は、私は中学生から高校に入る時期であった。毎朝、NHKのスタジオ102などで示されるベトナムの地図が、どんどん赤く塗りつぶされていくのを見て、世界がまさに動いているのを実感していた。
そのころよく聞かれた、北爆であるとか、民族解放戦線、臨時革命政府といった言葉が展示の解説に出てきていて、妙な懐かしさも感じた。あれは30年前なのであるが、そのとき現地で起こっていたことを、あらためて写真でつぶさに見ることができた。
そして、それは、いささかショッキングでもあった。

「ホーチミン・ルート」。これは、私の知らないことがらであった。北側から南を支援するために人も物資も送らなくてはならないが、海岸沿いのメインストリートや海上ルートは、当然米軍によって厳しく封鎖されている。ならば、ラオス国境を越えるような山岳ルートを取るしかない。断崖に架けられた粗末な仮設階段や、茂みを流れる川の水の中、湿地帯などを貫いて通行する、人力だけの物資補給ルートがあったのである。これはもう、信じられないような情景の写真であった。むろん、ルート中には平坦で困難の少ない部分もあったはずで、「写真になる」ところの写真が展示されているということなのだろうが、それにしても、すごいものだった。
ピューリツアー賞を受賞した、ナパーム弾でやけどを負って全裸で逃げてくる少女の有名な写真もあった。

解説は、しかし、単純な図式での理解を戒めている。人民が英雄的に戦った結果のサイゴン陥落、南北統一というストーリーで見るべきではないと。北でも地主階級などの者を多数処刑したりしているし、南部が北の政権によって統一されていく過程でのさまざまなことがらは、今日でも必ずしも明らかになっていないのだそうだ。私たちは、同じ人間として、そこに起こったことを見つめようという主張に、同感である。

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February 11, 2006

クレー展

大丸ミュージアムで開かれているクレー展に行ってきた。
クレーの回顧展は、かなり何回も行われてきているらしい。しかし、私たちは、今日がはじめてだった。

クレーという画家については、そういう名前の現代作家がいたということを知っていただけで、ほとんど何も知らずに行った。だから、まったく先入観なしに、作品を見てくることができた。

基本的に、「線」にこだわっている人である。しかし、その線は、ペンで描かれた均質なものであったり、細い線と極太の線を効果的に使い分けているものであったり、異なる色彩の面と面を区切るものであったりと、実にいろいろである。
また、たくさんの作品に使われている製作技法が、バラエティに富んでいる。普通のキャンバスに油彩、紙に水彩。それ以外に、非常に多量の水を使ってにじませた水彩であるとか、麻布にクレパスで塗った絵、厚紙に糊絵の具で描いてそれを別の紙に貼ったりと、さまざまな技法による表現を試行している。
画面に描かれているものも、風景であったり、人物であったり。閉じた曲線から、描かれている対象が浮かび上がっているものもあるし、また、なかなかに理解困難な作品もある。
要するに、非常にいろいろなタイプの作品が集められているのである。
しかし、そこには、やはりクレーの世界がある。抽象的な絵、実験的な手法で描かれた絵であっても、見る者に鋭く迫ってくるという感じはない。私には、とても優しい作品群であるように思われた。

カラーディスプレイにさまざまな色の画像を表示する理屈を説明するときに、例として示すことができそうな絵があった。売店に、その絵の絵はがきがあったので、購入してきた。

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ThinkPad i1200 1161-72J メモリ上限256MB

1月28日の記事「ThinkPad改造」で、ThinkPad i1200シリーズ1161-72Jは、メーカー公表の上限である192MBを越えて256MBまでメモリを認識すると書いた。
ネット上の記事には、私と同様のことを書いているものもあるのだが、一方で、ノートマシンのサポート、改造を手広く行っている会社のサイトでも、72Jは上限192MBであるとしているところもある。
そこで、念のために、画像を上げておこうと思う。標準の64MBに、128Mbitチップ16個が載っている、PC100で256MBのメモリモジュールを差した状態のスクリーンショットである。
256-top
このように、なぜか256MBには少し欠けているけれども、このような値で認識されている。

しかし、ターミナルとGIMPを起動しただけの状態でこれである。192MBのときとは、使い勝手はある程度ちがってくるだろう。前にも書いたように、これはあくまで実験的な使用状態で、いま差しているメモリは仕事用マシンに戻さなくてはならない。
うーん。メモリが欲しくなった。Yahoo!オークションでは、なるほど、これくらいが相場なのか…。
2月14日の記事へ続く)

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February 08, 2006

学校設定科目

学校設定科目の設定を県に届け出ているのだが、通らない。
科目は「表計算」で、教科は数学である。

旧来の情報教育、高校のコンピュータ教室で行う実習授業といえば、ワープロと表計算であった。新教科情報がはじまり、だいぶ内容が刷新されているのだが、それは言ってみれば上からの民主化といった側面があって、実際に授業を受ける生徒たちの要望とは、必ずしも合致しない。
勤務校では、おそらく創立間もないころから情報関係の授業に力を入れてきた積み重ねがある。近年では、商業科の「文書処理」と工業科の「情報技術基礎」を2年3年選択科目に置く、という形で継承されてきていた。文書処理ではワープロソフトで日本語の打ち込みトレーニングを行い、情報技術基礎では表計算ソフトに習熟することを目的としていた。
そういうものは、一種学校の財産となっていて、そう簡単に転換できるものではない。だから、私が文書処理から改称した文書デザインを預かって、新教科情報の味付けで大改訂した内容の授業をしたら、生徒からも教員からも、大きな抵抗を受けた。

「情報技術基礎」のほうは、相変わらず、数学科の責任担当となっている。そして、最近では、学習指導要領だけでなく、シラバスとか教科書どおりにとか、いろいろと規制が厳しくなってきていて、今までの科目名と内容で行っていくことは難しくなっていた。そこで、これを数学科の学校設定科目としてしまえば、いくつもの面で無理を回避でき、たいへん具合がいいことなのであった。
それが、通らない。
で、どうも、情報科の科目として出せば、通るのではないか、という…。(え?)

まあ、私としては、そんなに無理してがんばってまで、1年間Excelだけをやらせるような授業を開講しつづけることはないんじゃないの、やめちゃえばいいのに。というくらいの気持ちでいる。
しかし、上にもちらっと書いたけれども、生徒の意識はそうではない。日本語入力、ビジネス文書作成能力、表計算ソフト活用能力をつけてもらいたい、という素朴な要求が強いのである。

どうなるだろうか。いくら生徒のためとはいえ、教本どおりに表計算の課題をこなさせていく授業は、私は担当したくないのであるが。

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February 06, 2006

実習用メール環境の設定

1年の情報A。ファンシーグッズを売るプレゼンの終わった後、各クラスとも3回くらいの授業時数が残りそうだ。

ここで何をやるか。メイン担当のGさんと相談し、やっぱりちょっと電子メールをやらせてみようよ、ということになった。生徒たちは携帯電話でのメール操作は慣れているが、コンピュータでのメール作法はまた違ったものなので、経験させておきたい。
ただ、1年生は40人の6クラスで、合計240人いる。これだけの者に対して、ちょこっとメールの実習をさせるのに、どんな準備をするのが適当だろうか。(これも問題解決か。)

結局、以下のようにすることにした。

  • メールクライアントは、Outlook Express をつかう。私もGさんも、別にこれが好きだということはないのだが、諸般の事情により。
  • メールサーバとしては、Black Jumbo Dog をつかう。これは、サーバ機に入っていて稼働しており、2,3年生の私の授業では、すでにメールサーバとしてつかっている。ここに、ユーザアカウントを増やす。
  • 生徒は、この実習のときに限り、個人IDではなく各マシンごとに振られた「student01」~「student40」というアカウントでログインする。
  • この「student01」~「student40」というアカウントは、すでにサーバにつくってあったものだが、プロファイルが固定となっていて、全員が同じ生徒用プロファイルを使うようになっていた。これを解除し、それぞれがローカルにプロファイルを持つように設定してやる。こうすることで、各マシンごとに、Outlook Express でメール送受信ができるようになる。
  • 生徒たちは、やっとのことで自分用のIDとパスワードでログインするようになっている。そこへ、この実習のときに限ってそれぞれのマシンごとに異なる「student01」~「student40」というIDでログインさせることは困難である。そこで、授業システムCSSに設定をつくり、教員機から、生徒機一括で電源オン・ログインできるように設定した。
  • メールアカウント名は、「student01」~「student40」とは別の「mail01」~「mail40」というものをつくった。パスワードも別である。マシン(Windows のドメイン)へのログオンと、メール送受信サービスへの接続とは、別のことがらであると分かってもらうため。

あとは、生徒機1台1台について、Outlook Express の設定を行うことになる。これは、明日以降の作業である。

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February 05, 2006

PC日記

4日(土)

いつものPCショップで、ケーブルをいろいろ買う。IBMの流出品だろうか、簡易包装にラベルの貼られた、コネクタ付きイーサネットケーブル5m。これを3本。ジャンクのVGAケーブル。パッケージ入り金メッキコネクタUSBケーブル。以上5本で800円。
これをレジに持って行ったのだが、どの品もまともにPOSが通らず、店員さんが相談しながら手作業で金額を打ち込んでいる。

 すみませんね、変なモノばかり買うもんだから。
 いいえ、とんでもない、そんなことは。

情報部会有志でやっている教材開発作業が、まとめの段階に入っている。そう、予定では。
実態は、締め切りを過ぎた休日の夜半過ぎに、それぞれのメンバーのつくった作品のファイルを、何とか形式を合わせてひとまとまりにする作業を行っている状態である。

5日(日)

サブのデスクトップマシンである、NEC VE30H/5 のHDD移行作業をすすめる。なぜか移行ツールではうまくいかなかったので、メインのマシンに移行元と移行先のHDDを両方つなげてコピー作業をする。
4Gのドライブから30Gのドライブに移行したら、とにかくスピードが速くなった。CPUはCeleron300なのだが、以前よりはだいぶ快適である。
15Gを残しておいたので、やっとこのマシンにも Linuxを入れることができる。…と思ったら、入らない。インストールのかなりはじめの方で、引っかかる。Fedora Core 4 でだめなので、Vine 3.0 を試したが、これもだめ。うーむ。
しかし、ケースを開けて中をいじってみると、ていねいに作られた良いマシンであることがわかる。部品も良さそうだ。スペックを数字で比べられてしまったら良いところはないのだが、そういうところに表れない部分がちゃんとしている感じである。

USBハブを新しくした。いままでは、何かをつなぐたびにシステムから「もっと高速でつかえるデバイスですよ」と言われていたのだが、やっとUSB2.0のハブになったから今後は大丈夫である。LOAS UH-294GN という、ちょっとだけ怪しげなもの。
デジタルカメラの写真データの転送など、ずいぶん速くなって、うれしい。
ところで、これについているモニターLEDが、ものすごく明るい。常夜灯になるくらいである。色も、エメラルドグリーンという珍しい色であるが、ひょっとしたら、内部に高輝度ブルーとグリーンの2素子が仕込んであるのかもしれない。

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February 03, 2006

ファンシーグッズを宣伝するプレゼンテーション

前から書いているが、1年の情報Aと3年の文書デザインで、標記のようなことをやらせている。
3年は3学期の授業時数が少なく、もう自由登校に入ってしまったので、発表させるところまではできなかった。これに対し、1年のほうは、早いクラスが発表に入ってきている。
やらせてみると、心配したよりはうまくいく。生徒たちは、たどたどしいながらも、何とか発表することができるようだ。

発表は、一人一人おこなう。班を編成しての共同作業は入れなかった。
その内容は、ファンシーグッズの宣伝広告である。私がダイソーで見つくろって買ってきた、21種類の品物がある。そこから気に入ったものを1つ選び、架空の性能を与えて遊んでもいいという条件で、その品物を一般消費者に宣伝するプレゼンテーション活動を行いなさい、という課題である。写真を入れたパワーポイントのスライド5枚程度で、1~2分の発表を行わせる。

こういう内容の教材に対しては、いろいろ意見があるところだろう。しかし、問題点をマイナスポイントとして差し引いても、これはなかなか良い教材だと思う。Gさんも、やってみて、ずいぶん気に入っている様子である。
まず、具体的なモノをがそこにあるということ。生徒たちに、さあこれから発表の授業だから、どんな内容について発表するか、(自分で、ないしグループで)自由に考えなさいと言っても、おそらく不可能である。授業時間が無為に過ぎるばかりだと思われる。しかし、かわいい品物がいくつもあってそこから選ぶということならば、無理がない。とりあえずスタートすることができる。
次に、今の生徒たちは、自分をさらけ出して語ることを忌避する。おそらく、無防備になって傷つくことが恐ろしいからだろう。しかし、リアル社会で105円の品物とわかっていて、それにいろいろと架空の機能を付け、ストーリーを語って売るという発表ならば、仮面性をもって行うことができる。発表がうまくいかなくても、受けなくても、それは直接自分に対して向けられたものではないとすることができる。恥ずかしいけれど、ある種他人事のように語ることができ、気楽である。

このような、発表と言っても中身のない、厳しく言えばおふざけのようなものである。
しかし、それでも私は、これには大いに意味があると考えている。

生徒たちの様子を見ていると、例えば、うるさいほどの私語を交わしている者も、そのように会話をする相手は限られている。共通の言い回し、共通の話題、共通の価値観をもっているグループ内だけで会話が行われ、それ以外の者とはまったく没交渉である。だれとでも話ができるという者は、少ない。
それでは、もちろん、ダメである。いつものお友達以外の人格と、意思疎通ができるようにならなければいけない。学校は、当節、そういう力を養う場という役割も担っていると考えるべきだろう。

一人で、スクリーンの前に立ち、自作のスライドを切り替えながら話をする。生徒たちは、ものすごく嫌がっている。それでも、仮面性を緩衝装置としながら、自分で考えたストーリーを、ふだん話もしない級友(!)の前で語る。
これは、生徒たちが社会的に発達していく上で、ひとつの経験となるのではないだろうか。

スライド例1

スライド例2

上記は私がつくって生徒に示したスライドの例。1年の情報Aでは、携帯電話のカメラまたは学校のデジタルカメラで商品の写真を撮影し、USB経由で取りこんでスライドに貼り付けて使うことを必須とした。アニメーションやサウンドを付けることは、必須ではないが紹介している。

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February 01, 2006

続・異体字

昨日の続きである。
t_fukuharaさん、トラックバックをありがとうございました。

あれから、さらにいろいろと考えた。

私の伯母は、名を「志げ」といった。この「志」の字は、くずした文字で書くのが正しいということであったらしい。つまり、「志る古や」「古今亭志ん生」の「志」である。
しかし、活字でものごとを表記することが一般的になるにつれ、手書きで文字を書くに際しても、きっちりペン書きで明朝体の活字風に書くことが正しいという世の中になってきた。そして、毛筆手書きの味わいを持つ異体字については、だんだんとその取り扱いに困難を生じてきたと見える。
伯母の名も、いつも活字風の字で「志げ」と表記され、本人もまた、特にこだわる風でもなかった。
戸籍には、どう書かれていたのだろう。
伯母の戸籍は、戦災で焼失している。1945年3月10日未明の東京大空襲により、本所区役所の建物と共に、焼けてしまったのである。
このときは、生存者の申告により、戸籍が再編成されている。伯母がどういう字体で申告したのか、今ではもうわからない。
それぞれの人が申し出たとおりの内容で戸籍が再びつくられたのであるから、字体が変わってしまった人も、ずいぶんいたはずである。
字体どころではない。出征中であった伯父の生年月日を、伯母は間違えて申告し、それが確定してしまった。これは、例によってもう訂正することができないものであったらしく、伯父の生年月日は亡くなるまでそのままであったようである。

話がそれた。

例えば高橋さんが、自分の名前を手書きでハシゴ高に書くのが好きであったとしても、明朝体の活字で表すときには普通の口の高で表記されることは当たり前として受容するのが普通であっただろう。数十年前までは。
こうした例は、同義の同字、表記の揺れに過ぎなかったのである。
それが、文字をコンピュータで取り扱うに際し、文字を符号化しなくてはならなくなった、そのあたりから、話がおかしくなってきたように思う。

この件で、ネット上の文書をいくつか読んで回った。その中に、一点一画違う字はすべて登録しろというのは判断停止だ、という表現があった。我が意を得たり、と感じた。

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