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December 31, 2005

探求する心

ureatree写真は、娘に買い与えていた学研の「科学」12月号の付録教材である。

これの使い方であるが、まずプラスチック製の「幹」や「枝」、「葉」などのパーツを組み立てる。水性サインペンで好きなところに色を塗る。添付の尿素で高濃度水溶液をつくり、そこにポリ酢酸ビニルを主成分とするおまじないを混ぜる。その溶液を、「葉」にあたる小さなカップに満たし、そのほか適当にかけてやる。そして放置し、水分が蒸発するにしたがって、だんだんと結晶が析出してきて、雪が積もった木のようになるというものである。
できあがるまで数日かかるかとも思ったのだが、このところ毎日湿度が低く、またエアコンで暖房しているためか、数時間でこのような姿になった。娘もびっくりして見ている。

ところで、こういった教材をあつかっている小学生のうちは、子供たちは理科が好きである。ところが、学年が上がるに従って理科好きの割合は減ってくる。私の勤務校などでは、選択化学IIの履修者は5%前後という壊滅的な状況である。

どうしてなのだろう。目の前に起こっているさまざまな現象が、なぜそのようにして立ち現れてくるのか、知りたくないのだろうか。説明を聞いて、あるいは実験してその真偽を確かめ、納得したくないのだろうか。

先日、数学や化学が苦手という生徒が職員室に来ていた。学級担任と話をしていたのだが、英語科のその担任は、

「数学とか化学なんていうのは、問題の解き方を覚えて、それにあてはめて解くんだよ」

とその生徒に言っていた。
私は、暗然とする思いであった。教員にして、こんなものなのか。自然科学のゆたかな世界を、そんな矮小化した形で生徒に伝えるとは。
そうか、あなたは、高校生のときには、数学や理科に対して、すでにそういう態度で接していたということなのだな。

よく、「人の思いを大切にする」「思いを人に伝えることが大切」と言う人がいる。それを一概に否定するものではないが、そういうことに一義的な価値をおいてものごとを考えることは危険である。
そういう考え方にはまってしまうと、例えば小学校の教員が、水に良い言葉を聞かせようとかいったとんでもない教材にまじめに取り組んでしまうことになる。

人の思いなど超えたところで、自然の法則にしたがって目の前に立ち現れてくる自然現象。それを解き明かし、説明する理論を知り、それでは、こうするとこうなるはず、と実験で確認するよろこび。
納得できるまで計算し、また考えを紡いでいくことの大切さ。

「化学の広場」の、「理科の質問箱」に、小中高校生から多くの質問が寄せられる。ただ宿題の答やレポート課題考察に書く内容を聞きに来るだけの児童生徒が多いのだが、なかに、問題を解くにしても一生懸命に理解しようとして質問する者もいる。こういう者に対してこそ、ほめて育て、さらに理解をすすめる手助けをしてあげたいと思う。

私は、生徒たちには、そこに現れている現象、事物を、しっかりと虚心坦懐に受け止めてほしい。それを見て自分はどう思うとか、自分はどうしたいのだとか、そういう人間の雑念は取り払って。
そして、その世界を探求してほしい。

自分で、落ち着いて論理に従ってしっかり考え、課題を解決していくことができる、そういう生徒を育てたいと思う。
これは、理科でも情報科でも、変わるところはない。

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