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March 02, 2005

見ていない手品のタネ明かし

今日も療養休暇である。

外出しないで一日自宅にこもっていたが、熱は下がっているし、さすがにもう寝ているわけではない。たまっている本を読んだりして過ごしている。

「放射線元素物語」のぎへんのほん 井上勝也、松浦辰男(研成社)
読みかけだったものを片づけた。特にどうということはなかった。

「生物学個人授業」岡田節人、南伸坊(新潮社)
これは面白い。岡田さんと南伸坊さんの個性がかみ合って、90年代中盤までの発生生物学を、楽しく読ませてくれる。
私は生物を担当することがあるのだけれど、気がついてみれば、まわりの先生たちや教科書よりも新しいことを話しているんだ、という意識で授業をはじめてから、もう20年たっている。当時、教科書に載っていた「再生の場」といった考え方を、

化学から見れば、これはどうしたって、ある物質の濃度勾配だよ。でも、発生学者は、そういうことを認めないで、「場」だとか「極性」だとか言ってるんだ。

などと斬っていたものだ。しかし、この本を読むと、私がそんなことを教室でしゃべっていた頃、発生学者たちも、そういうことは言わなくなり、ちゃんと化学の言葉で議論できるようになっていたようである。
また、「細胞」という用語をつくったのは、宇田川榕庵なんだそうだ。「舎密開宗」の宇田川榕庵である。へえ。

このあたりは、今度、生物を担当するときには材料にしよう。もっとも、勤務校の理科教諭6名の布陣が、物理0、化学2、生物4、地学0という非常に偏ったものなので、ここにいる限り、生物を持つことはなさそうなのであるが。

ところで、読んでいて、はっと思う部分があった。引用する。

学校の勉強というのは、すでにわかったことを教えられます。今の今まで知らなかったことを、いきなりわかったことにされてしまいます。わからなかったことがわかるのは楽しい。しかし、わかろうともしていなかったことが、いきなりわかったことになっても、あまり楽しくない。
(中略)
イキナリ答として、まるで手品のタネ明しでも聞くように聞く、しかもその手品も見ていないとしたら、そりゃ面白くないのは当然です。

そうなのだ。理科を面白くないと言う生徒たちにしてみれば、まさに、理科というのは見てもいない手品のタネ明かしを解説するもののように感じているのだろう。

こちらとすれば、当然、生徒たちはそれまで生きてきた経験の中でたくさんの問題意識を抱いてきているはずであり、それを教室で順々に解説することで理解できるようにしてやるのは、生徒にとって面白いはずである、という前提で授業に臨んでいる。上の例えで言えば、いつも見せられていながらタネがわからなかった手品の解説、ということになろうか。

それが、そんな手品は見たことないしー、と言われてしまうわけだ。
それではというわけで、演示実験、フルカラーの教科書の写真、板書や身振り手振り、さらには声色を交えての説明、と相成る。(実演嘉村と呼ばれたことがあった。)
ここで、興味を持ってくれれば、解説も面白がってもらうことができる。時間はかかるが、目的は達成される。

しかし、その、遅ればせながらの問題意識醸成活動も、生徒がこちらの提示を受け付けようとしないのでは、まったくどうしようもない。そうすると、次には、こういうことを知っておくとこういう役に立つぞ、とか、テストの点が、成績が、…。という話になってしまう。
不幸な事態である。

このあたり、理科よりも情報科の方が、まだ少し、救いがあるように思う。

君たちのそのケータイだって、液晶が、リチウムイオン電池が、…

などと恩着せがましく言わなくても、ストレートに中身そのものに入れる。生徒たちにとっての「見慣れた手品」がたくさん転がっている。

ところで、来年度は、化学IIもまた担当することになりそうだ。こちらの方は、改めて言われなくても、液晶や二次電池にありがたみを感じている生徒たちに集まってきてもらいたな、と思っている。

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